ゲームと現実を混同する若者の実態をとくと見よ!

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BLOGOSのとある記事への違和感

じゃあ、両論併記すれば済むことではないか、という提案がなされることもあります
例えば慰安婦問題について、強制連行はあったとする説と無かったとする説、
沖縄集団強制死は、軍の強制によるもので会ったとする説と、住民が軍の足手まといになるまいと自発的に死を選んだとする説、
太平洋戦争は侵略戦争だったとする説と、アジアの独立を促す自衛戦争だったとする説
両方を平等に併記すれば良いではないか、という提案です

しかし、このような両論併記は一見、公平中立であるように見えますが、実は違います
天動説と地動説、進化論と聖書の天地創造。両者を科学的事実、歴史的事実、として同等に扱うべきものではないのと同じ事です
軸足を日本国憲法に置く以上、大日本帝国を肯定するような全体主義的価値観と民主主義を等価値的に「両論併記」することは、決して公平中立ではなく、大日本帝国を肯定するような全体主義的価値観に偏向していると言わざるを得ないです

自民党が学校教育に要求する「政治的中立性」は、自民党の意図に沿う強い「政治的偏向」の押しつけに他ならない

より引用

 この筆者の文章は基本的に納得のいくものになるはずだった。が、この文章は何だ?アジアの独立を促すの部分を否定したいのか?

あり得ない。理解に苦しむ。侵略戦争の要素が現在の価値観から否定できないものであることは日本の特定の極右以外からは広く同意を得られることである。しかし、自衛戦争だったとする主張を国際連合をを作った彼らは認めることができない。事実彼らは未だに植民地を有し続けているのだ!

「天動説と地動説、進化論と聖書の天地創造」は科学が片方を否定することができた一方、上に並べられたものは(全てではないかもしれないが)片方をほぼ完全に否定することができない。筆者は持ち出す例を間違えたようだ。大東亜戦争の後にアジア諸国が独立を果たした事実があるのだからアジアの独立を促す自衛戦争だったという主張は否定されてはいけない。ここ日本においてそのような主張が弾圧されることは欧米の価値観が常に正しいことを認めることになるので絶対に認めない。

 

 

まとめ

大東亜戦争は現在の価値観で侵略戦争と認められる。

・だが自衛戦争と認められる要素があるのに否定されている。よって既に議論の余地がない天動説と地動説とは比較対象になり得ない。

自衛戦争と認めないのは戦勝国の論理に基づく価値観で動いているからだ。

・筆者の言いたいこと自体は筋が通っていて間違っていない。

 

さいごに

国際連合=連合国、対日独の軍事同盟として設立された。この事実を忘れてはいけない。必ず国際連合を解体し、後継となる組織を作らなければならない。それまで永遠に歴史もめする問題は解決しない。

 

 

おまけ

需要がなかろうがあろうがこの手の記事が月に2回程度上がることになりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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